竜の口山散策

岡山市にある里山「竜の口山」ー歩いて見つけたものは…

稲荷神社下の古墳?遺物?

 四御神と土田の境に竜の口山が張り出しています。その中腹に稲荷神社があるので、その山を稲荷山というのだろうと思います。新しい手すりのついた石段を上ると鳥居があります。

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稲荷神社の鳥居         裏側

 あちこち補強してある鳥居です。

 その近くに石碑や手水鉢などがあって、その奥の石段を上がるとお社があります。

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石碑            石段

 石碑は「文政11年」と読めます。1828年で、その年にシーボルト伊能忠敬の地図を国外に持ち出そうとして何人もが投獄されたそうです。余計なことですが。

 帰り道にふと石の構築物に気づきました。神社の下あたりです。

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入口          内部

 まるで石室ではありませんか。でも1m余りで小さいのです。

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上部

 その上には石もちらほら見えます。

 昭和46年(1971年)の発掘調査には、稲荷山古墳も調査した、と書かれていました。でも調査した結果、古墳ではなく、もっと新しい時代に土地の人たちが何かを祀ったものらしいということでした。調査報告書には、それは潰したと書いてありました。でもこれでしょうか。疑問ばかり残ります。

竜の口山山頂廃寺

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奥池           竜の口山山頂廃寺跡の道標

 四御神(しのごぜ)参道の中腹に奥池があります。その手前20mくらいのところに山頂廃寺跡と奥池下古墳を示す道標があります。

 木や草が茂っていて入るのに勇気がいりましたが、入ってみると意外に行きやすい道になっていました。すると、きれいに組まれた石垣が次々に見つかりました。

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石垣

 建物の跡は全く見えませんが、明らかにお寺の跡です。

 ふと足元を見ると、草や落ち葉に隠れているけれど石畳でした。参道だったのでしょう。

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石畳の道

  その道を登っていくと奥池に出ます。奥池から四御神参道を下り、さっきの廃寺の道標のところに戻ると、ここにも道に縁石や石段があるのに気づきました。今まで何度も通ったのに、気にもしていませんでした。ていねいに造られていたのですね。

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参道の縁石と石段

 その後聞いた、地元の96歳になるおばあさんの話。

「去年の6月2日、(畑仕事をしていて)ハミ(マムシ)噛まれて入院しとったんじゃ。危なかったんよ。」

 元気なおばあさんです。怖いので、もうやぶに入るのはやめにします。

 

 参道入り口の案内板をよく見ると、山頂廃寺は奥池のすぐ下でなく、近くの小高い山の上にあります。下の写真で、ちょっと上のほうの丸いのが奥池です。

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案内板 奥池周辺

  どう見ても石垣は寺の跡ではありません。むしろ場所としては奥池下古墳ですが、そんな時代のものには見えません。寺の参道の一部なのでしょうか。わかりません。

古墳(3) 四御神古墳群(上の山1号墳)

 竜の口山の南山麓四御神から土田にかけて市営団地が広がっています。

 第1次ベビーブーマーがそろそろ結婚する世代になったころに造られました。団地を造成するにあたって、昭和46年(1971年)7~9月に発掘調査が行われました。岡山市教育委員会と地元の人たちの協力で。真夏の作業で大変だったことでしょう。

 その詳細な報告書があります。それによると…

 

 ここに古墳があることは知られていなかったが、調査で17基(18基?)あることが分かった。うち15基は団地予定地内にあったが、緑地として残せた(中の池のところに遊園地があるのですが、そのことでしょうか?)。

 ただ1基だけは潰さねばならず、それを小字名にちなんで「上の山1号墳」と名づけた。

 上の山1号墳はひどく削られて道や果樹園、段々畑(水田)になっていて、全体像はよくわからないが13mくらいの小さな方墳らしい。少なくとも3人が埋葬されていたようだ。はにわなども出てきて、古墳としては後期、5世紀前半のものとみられる。

 

 四御神参道入り口から入ると、右手が小高い丘、左手が団地になっています。

 丘の下部はコンクリの壁。途中に何十年も使われていないような石段がありました。以前は、仕事や生活に使われていたのでしょう。

 石段を上るとコンクリの上の山肌に、ところどころ石組が見えます。参道沿いにも石が見えます。自然石なのか、もしかすると葺石(ふきいし:古墳の斜面に埋められた石)なのか、わかりません。でも私には、その辺にある小山は古墳に見えてしまいます。

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遊園地(古墳があった?)       使われていない石段
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石垣?
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もしかすると葺石(ふきいし)かも?    古墳に見えてしまう










 

古墳(2) 唐人塚古墳・湯迫(ゆば)古墳

 今、古墳づいているのでまた古墳の話題。

 車塚古墳の次に有名(?)なのが唐人塚古墳です。竜の口山南側の西寄りに賞田(しょうだ)というところがあり、7世紀に大きな寺が作られました。最近その遺跡が整備され、賞田廃寺跡という遺跡公園になっています。そこと小さな丘をへだててひっそりと唐人塚古墳があります。案内板はなく、道標があるだけです。

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道標      石室入り口の巨木      入口の社

 石室入り口の両脇には2本の巨木があります。たぶん杉とカヤです。さらに奥に小さな社が建てられています。

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入口        石棺

 石室の長さは8.9m、とても大きくて立派な石がくみあわされています。古墳としては最末期の7世紀初めか半ばに造られたそうですが、きれいです。

 石棺は2.25m×1.2m。どっしりとしています。石は兵庫県高砂市の竜山岩という、石棺としてはブランドものだそうです。蓋は失われていて、池田の殿様が後楽園に置こうとしたのか、運ばせる途中で川に落としてしまったという話があるとか。

 賞田廃寺を造った上道臣(かみつみちのおみ)という豪族の墓だそうです。なぜ「唐人塚」なのか、わかりませんでした。葬られている人かと思ったのですが、渡来人の指導のもとに造ったからなのかもしれません。

 この石棺には謎があって、いつも縁まで水が満たされています。写真ではわかりにくいでしょうか。天井から水が落ちている様子はありません。なぜここに水が溜まっているのか誰もわからないそうです。ちょっと怖いですね。

 古墳の頂上はやぶや駐車場になっていました。

 

 賞田の東に湯迫というところがあります。そこを通った時に、こんもりした木立や道脇の石が古墳や葺石に見えてしまいました。

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 帰ってから調べてみると、8基からなる湯迫古墳群というのがあることがわかり、これはやはり葺石かもしれません。8基は10m以下の小円墳だそうです。湯迫古墳はこれしかわかりません。

古墳(1) 車塚古墳

 竜の口山には70ほどの古墳があるそうです。少しずつ訪ねてみたいと思います。まずは一番有名な車塚古墳から。

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ふもとから見た車塚古墳        近くで見た車塚古墳

 下から見ても素人には古墳があるようには見えません。四御神参道入り口の中ノ池脇から急な山道を登ると、古墳に出ます。近くで見ても、古墳だとはわかりません。案内板があるから初めてわかります。

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案内板              頂上

 古墳に上ってみると、頂上は平らに近く開けています。石室はどこにあるのかわかりませんでした。

 車塚古墳は長さ約48mの前方後方墳です。古墳としては全国的にも最古のものの一つで、4世紀初めに造られたとみられています。有名なのは、卑弥呼が中国からもらったとされる三角縁神獣鏡という銅鏡が11面も出てきたからです。

 車塚古墳は昭和31年(1956年)に発見されました。ずいぶん長い間、忘れ去られていたのでしょうか。造られた当時はどんな姿だったのでしょう?きっと四御神地区を一望する立派な古墳だったのでしょう。

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葺石(ふきいし)

 古墳を一周すると、ところどころ草の中に石組が見つかります。葺石といって、古墳の斜面に埋め込んだ石だそうです。なんと1700年ほども前の人たちが作ったものが見られるなんて、感激してしまいました。 

 

喜兵衛さん

 今回は山の中ではないけれど、山すその話。

 竜の口山の南東のすそに、土田という集落があります。鎌倉・室町のころにはあった歴史ある村です。そこから山へ入ったところにひっそりと祠があります。

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祭祀堂

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案内板

 案内板によると、江戸時代に土田村の窮状を救うために、子どもを含む喜兵衛さん一家六人が、年貢の取り立てに抗議して自害したとのこと。その時の喜兵衛さんの心や、それを忘れないために祭祀堂を立てた土田の人たちの気持ちには熱いものを感じます。

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祭祀堂わきの手水鉢と墓所を示す道標

 少し離れた村の墓所には、喜兵衛さんと家族の墓標があるそうです。

四月の花

 花はあまり多くないけれど、いくつか見つけました。 

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左から山桜、山つつじ(紫)、山つつじ(ピンク)

 山つつじといってもいろいろ種類があるようですが、わかりません。

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左からオドリコソウ、ショウジョウバカマ

 あとは名前がわかりません。もしかしたら重複しているかもしれません。

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黄色い花たち
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白い花たち
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白と紫

 黄色と白が多いのはどうしてなのでしょう。