稲荷神社下の古墳?遺物?
四御神と土田の境に竜の口山が張り出しています。その中腹に稲荷神社があるので、その山を稲荷山というのだろうと思います。新しい手すりのついた石段を上ると鳥居があります。
あちこち補強してある鳥居です。
その近くに石碑や手水鉢などがあって、その奥の石段を上がるとお社があります。
石碑は「文政11年」と読めます。1828年で、その年にシーボルトが伊能忠敬の地図を国外に持ち出そうとして何人もが投獄されたそうです。余計なことですが。
帰り道にふと石の構築物に気づきました。神社の下あたりです。
まるで石室ではありませんか。でも1m余りで小さいのです。
その上には石もちらほら見えます。
昭和46年(1971年)の発掘調査には、稲荷山古墳も調査した、と書かれていました。でも調査した結果、古墳ではなく、もっと新しい時代に土地の人たちが何かを祀ったものらしいということでした。調査報告書には、それは潰したと書いてありました。でもこれでしょうか。疑問ばかり残ります。